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キルディ ビーズエプロン  

キルディの女性用のビーズのエプロン。 色柄で社会的地位(思春期や結婚や出産や未亡人)・民族の起源などなど特定な事柄を表し、近隣で共通の認識があるようです。 カメルーン独立期頃の1961年から服を着る法律ができたようで、それ以降は伝統文化として残っているようです。     因みに、キルディKirdiとはフラニ語またはカヌリ語で”異教徒”を指す言葉で、 イスラム教に改宗しないで伝統的な信仰を続けている小さいエスニックグループの人達の総称で、植民地以降に使われたそうです。 フォリFoli 、マタカムMatacom、など貨幣や人形で知られている人々も入ってます。     キルディは大体地図の赤丸あたりに居る人たちで、ナイジェリア・カメルーン・チャドの国境辺で、かなり多くのエスニックグループがいるエリアです。(ナイジェリアが大体200~300、カメルーンが270くらいエスニックグループがあるそうで、両国にまたがってるグループもあり) 地図の色は~語族で色が分かれていますが、キルディがいる赤丸のエリアはカラフルで、色々な文化を持った人々が特に入り混じった地域です。     ■キルディ関連のyoutube動画がありました。 ダンスの動画です。あの、貨幣持って踊ってる!あのマラカスもはめて、あのどんぐり型の帽子のかぶってます。 音もダンスもかっこいいです、見てみてください。 Cameroon, Oudjilla, traditional dance    

ファンティ アサフォの旗

アサフォ(ASAFO)は、ファンティ(FANTHI)の軍事組織の総称です。 名前は戦争を意味する「sa」と人々を意味する「fo」に由来します。 ガーナ沿岸に住んでいたファンティの人々に国はなく、軍隊がなっかたので町や村ごとに私兵組織をつくっていたといわれます。(その頃、隣国に強大なアシャンティ王国が存在しています。)   こちらはそのアサフォ軍団(asafo)の旗の一つです。 旗は15世紀以降にギニア湾から入ってきたヨーロッパ人と同盟を結んだ頃から作られ、コットンを使うようになったのはイギリスが宗主国になった19世紀以降のようです。 旗はそれぞれの軍団の”強さ”のシンボルで、軍団は近隣の強国に対抗するため団結する時もありましたが、お互いライバル的な存在でもあったため、歴史的出来事・ことわざなどを挑発的に表現しているものものも多いです。     いろいろなモチーフは乗り物や武器だけでなく、動物・人など様々で、権力や強さや同盟を象徴したユニオンジャックは独立後にガーナ国旗に代わります。 この旗を作っていた職人は、各町にいたのか、それとも代表的な工房がそれぞれのアサフォ軍団から請け負って製作していたのか、少しきになるところですが、 お互いの軍団が競いあい(小競り合い)ながらも、いざという時は団結出来るビジュアルの統一感は絶妙です。   飛行機の旗が作られたころは第一次世界大戦中が多く、ファンティの人々は宗主国の英国に忠誠を尽くすとともに、独立の話し合いがはじまったのもこの頃のようです。 飛行機は自由にどこへでも行けるという事を表すようで、アサフォ軍団は其々アサフォ神社?のような建物があり、エルミナ(Elmina ※2)の神社には飛行機も祀られています。   言葉にすると厳つく深く、ビジュアルはナイーブなアサフォの旗、そんなギャップも魅力のひとつかもしれません。 →オンラインショップ   ※2エルミナ Elmina  (Wikipediaより抜粋) 1471年当時ギニアと呼んだこの地をポルトガルが訪れ、ギニア湾の防衛基地とするサン・ジョルジェ・ダ・ミナ城(エルミナ城)をつくり、奴隷貿易の拠点となったガーナの都市     ■ASAFO 関連のYouTube動画。 Tateのキュレーターの解説など3本、歴史とも絡んでいて結構参考になります。 見方や解釈は色々あるかもしれませんが、旗がアートになってゆく、、、   Asafo Flags: Stitches Through Time      

ズールーのビーズワーク

今回は南アフリカズールーのビーズワークのお品です。 ・ダンスの時に持つ棒(もとはハンティングのこん棒だったみたいです、男性も踊るとき持ってたりします。) ・ビーズの母子人形 (用途はわからないのですが、同じタイプが本にありました。) 小粒ビーズがキッチリ編んであります、素晴らしいビーズワークです。 お人形はフリフリのスカート、最大限に省略された腕、子供を負ぶった姿、なんとも可愛いです。 online shop はこちら   ズールーの伝統的なダンスで、棒を持って踊っている動画がありましたので、よかったら参考にまでに。 女の子達も、ビーズの衣装も、踊りもかわいいです。 因みに、zuluの女の子の伝統的なダンス動画はSNS上で削除されがちだったようで、それに対して抗議の声もあるみたいです。 ””このダンスはセクシャルなアピールではなく、伝統的な文化で健康的なダンス””と言っており、動画を見ていると楽しそうですし本当にそんな感じがします。     3:50くらいからダンスが出てきます。↓ 8:00くらいからチャイニーズカンフーが披露されてます。(アフリカでの中国の影響力はすごいですね。まあでも、迫力ある踊りで盛り上がってます。)  

ドゴンの神話と民具①

マリ ドゴンの穀物倉庫の扉には、ドゴンの神話にまつわるモチーフが彫刻されているものがあります。 ドゴンの神話では、穀物は人間が生まれる源のようになっていて関係が深いです。 こちらの穀物庫の扉は新しく作られているものですが、 人間や、大地(胸)、カナガ仮面(シギの祭りのシンボル・創造神アンマを表す)などの神話に出てくるモチーフが彫られています。 ざっくりしたドゴン神話のストーリーをみてみると、 ドゴン族の神話は口述で限られた人だけに伝えられ、血縁集団や地域ごとに伝えられる内容も結構異なっているそうです。 そんな千差万別あるドゴン神話ですが、どの話にも共通する内容が次の内容だそうです。 ①創造神アンマによるこの世のはじまり ②最初の意思持つ存在ユルグ(キツネ)の誕生 ③ユルグ(キツネ)と自らを生み出した大地との交わり ④その大地から生まれた双子のノンモ ⑤アンマによる四組八人の人間の創造 ⑥天上から八種類の穀物をもって、地上に下りる人間たち ⑦人間が穀物を育てることで浄化されていく大地     ①~④あたりのストーリーのかわいいアニメーションがあったので、よかったら見てみてください。     因みに、薬いれはこんな彫刻です。 よく見ると、ワニはトグナのマーク横にした感じもみえるような、、   online shopはこちら  

ティンガティンガ絵画

こちらは作者不明のティンガティンガのペイントです。   作家ものではありませんが、派手過ぎず地味すぎず、鳥のバランスも良い感じです。 使っている色は同系色ですが、クリアーな線と、塗料のハッキリした色ノリもあり、アフリカらしい力強さもあります。     ティンガティンガは1968年、エドワード・サイディ・ティンガティンガによって始まった絵画です。 タンザニアの田舎で生まれ育った彼は、当時の首都ダルエスサラームに来た時に、お金がかからずに描ける自転車塗料のペンキと建築用合板を使って、その子ども時代の思い出や身近な風景などを外国人に売るために描きました。 E・S・ティンガティンガは1974年に不慮の自己にあい亡くなりました。絵画を描いた期間は約4年だけです。 またその期間、自分の商業的成功(そのやり方)を独占するのではなく、描きたいという身近な人に、絵の描き方の手ほどきをしました。彼がなくなった後、色々なスタイルに派生しながらも、ティンガティンガの絵の大きな特徴は今も継承されています。 ティンガティンガの絵は、富や名声も皆で分け合う、おおらかな助け合いの精神から生まれたがタンザニアのフォークアートな気がしています。

マリの泥染め布の小話

マリの泥染め布はバマコの北東200㎞くらいののセグーという町で多く作られています。 18世紀初頭に勃興したバンバラ王国(セグー王国)主都だった町で、今はのどかでゆったりした感じの町です。 ニジェール川沿いのこの町では、泥染布の工房が幾つもあります。 ここで泥染めに使われる泥は、ニジェール川の川底のきめ細かい良質な泥が使われます。 セグーに行った時、朝川沿いを散歩していたら、土を陸揚げしている船が何隻もありました。 これが泥染めの泥なのか?土っぽいけど。(違う気もしますが、、) ニジェール川は西アフリカを通る大河で川沿いに町はいくつもありますが、他ではあまり聞かないので、ここの泥はよいのだろうか? 聞いたのですがよくわからなくて、まだ妄想段階、今度行った時聞いてみます。   セグー 朝のニジェール川沿い、土の陸揚げ風景。   セグー 朝のニジェール川沿いの風景、聞いてみたがよくわからなかったときのこと。(音がでます)     online shopoはこちら     泥染め布の作る工程・柄の意味などは、はほかのサイトに結構詳しく掲載されているのでご興味ある方はどうぞ。 こちら