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colophon

南アフリカのドキュメンタリー Nai:The Story of a !Kung Woman

ボツワナ・ナミビア・アンゴラ・ザンビアにまたがって住んでいるサン(San)人の中の一つのグループの一つ、クン(!Kung又はJu/hoansi)のある女性の約30年の綴ったどドキュメンタリーです。   ※サン人 クンの人々に関しては、私は良く知らないのでリンクを着けておきます。が、地図は拝借させてもらいました。(見難くてすみません。) この作品、1980年に出版されているようで、1951年から27年かけて撮影されてるようです。 古来より続けてきた伝統的な生活から、1970年に政府政策よってサンの人々が特別居留地区に移動し、欧米の人の影響を受けながら、約30年間に環境と生活がどんどん変化する女性の人生が描かれています。ある女性の少女の頃から30歳半ばまでの肖像という感じです。 時間をかけてとても丁寧に撮られていて、とても良かったです。(かなり有名な映画だと思うのですが、私は最近見ました。画面を見てるだけでも大体わかります。) 変化は止められない、ここにきてまた世界中で変化していきそうです。何とも感慨深い作品です。     ■Nai: The Story of a !Kung Woman (大体1時間くらい 英語字幕なし) Marshall, John, 1932-2005; Documentary Educational Resources (Firm) https://archive.org/details/naithestoryofakungwoman/naithestoryofakungwomanreel2.mov://   同じ監督の別のショートフィルムの、「Lion Gme」も可愛いです。子供たちがライオンハンティングゲームをしている様子で、こうやって大人になるまでに、段々と狩りを覚えていくのでしょうか。(約3分半) https://archive.org/details/liongame_201609   ■Nai:The Story of a !Kung Woman プレビュー動画  

ロビ Lobi

※過去の動画や画像がありますが、現在は違う状況です。    住んでいる場所 ロビはブルキナファソ南東・コートジボワール北東         Art and life in Africa map      ざっくりヒストリー ロビは現在のガーナから1770年頃にブルキナファソ南部に移住し、その多くは国境を越えて現代のコートジボワール北東部に移り、また一部はコートジボワールからブルキナファソ南部に戻ってきたりしました。 移動の理由の一つには、植民地時代の奴隷狩りから逃れる為であったといわれます。 かつて、ロビは自分たちのコミュニティ外からの政治的権力に抵抗した人々として有名でした。ロビの村はそれぞれ基本的に独立しており、ロビ全体での政治的なまとまりはありませんが、フランスの植民地化には強い抵抗を示してきたといわれます。 相手は銃を持っていたと思いますが、弓矢で勇敢に戦ったともいわれます。        生活 ロビは主に、キビ、モロコシ、トウモロコシを耕作する農業を営んでいます。 男性は通常、畑の開拓と植栽の準備を担当し、女性は種蒔きと収穫のほとんどを行います。また、農業の合間に男性も女性も手工芸品を作り、地元の市場で販売します。家畜や牛の飼育も行い、その一部は結婚の持参金や罰金の支払い、信仰の供物として使用されたりします。 ロビは古来より狩猟中心の生活を続けていましたが、銃の普及により獲物が減少し農業中心の生活に移行してきたといわれます。  Society of African Missions の動画リンク  1950年頃の様子のようで、現代の様子ではありません。少し上から目線も感じますが、当時の様子、生活の道具、後半に葬儀の様子など見る事が出来ます。        コミュニティー ロビの村は点在して広がっており、しばしば他の民族エリアと混ざり合っています。きっちりと地理的に区別することは難しいです。また、個々の村に存在するティラ(神の使者)同士の提携により、地理的に離れている村でも同じコミュニティーとしてとらえる事もあります。 宗教的な占い師はコミュニティの長として認識され、色々な決定事項・道徳の規範など、村の住民は基本的にそれに従って生活していきます。各村は基本的に独立しているので、ある村では禁止されているものが別の村では大丈夫だったりと、村ごとのルールには特徴があります。   ■ロビの村に旅行に行かれた方の、ブログ記事を見つけました!その時、村の方から聞いたロビの説明をまとめた記事がとても良いのでリンクをいれます。これだけでなく、アフリカの色々な記事がとても良くまとまっていて、素晴らしい!最近のロビの様子も旅行記から伺えます! →ブログ:アフリカに「おもいやり」のロビの基本情報ページ →ブログ:アフリカに「おもいやり」のロビの村旅行記①ページ →ブログ:アフリカに「おもいやり」のロビの村旅行記②ページ 四角底のストローバスケットはこの地域の形だったのか!      神話・精神世界 ロビはかつて彼らと神と一緒に理想の楽園に住んでいて、何も望んでいないと信じていました。しかし、人々の数が増加し始めると男性は女性をめぐって互いに戦い始め、その結果、神は人々に背を向けてしまいました。 しかし、神は人々が完全にいなくなることを望まなかったので、人々を見守る使者としてティラ(thila)を人々の世界に送りました。ティラは自分のメッセージ・要求・禁止事項を、占い師を通して人々に伝えます。 また、ティラの世界では男性の上に多数の自然霊が存在するといわれます。ロビには自然霊とティラを難なく区別できるといいますが、これは外部の人には分かりずらい事でもあります。      作品 (木彫・ブロンズ・陶芸・建物・音楽など) ■木彫 ロビは毎日使用される道具から、宗教的な理想を具現化する人物まで、木彫品を作ります。 その一つに神話に基づいた精神世界を現す「バティバ  Bateba 」と呼ばれる木彫の人形があります。 ロビの人々の精神的世界観には、創造神の次に「ティラthila」 と呼ばれる目に見えない超自然の精霊が存在しています。「バティバ 」は「ティラ」の助手と考えられ、祭壇に祀られた瞬間から命を授かり、人間を妖怪や病から守り、富や健康、豊作、結婚、出産などの幸福をもたらすといわれています。 「バティバ」は様々な種類があります。 動物は基本的には「バティバ」の助手役で、鳥、ガゼル、キリン、カバ、ゾウやカメレオンなどがあります。造形はシンプルですが、この動物には生命が吹き込まれたような存在感があります。 また、「バティバ」は「ティラ  thila」(超自然の精霊) の祭壇に配置され、互いに通信し、魔物と戦うことができる生物として認識されています。 ロビの祭壇は家の奥の暗い場所に大体ありますが、「バディバ」は時々魂だけ外に外でお出かけするそうです。(リフレッシュですかね?)      神と木彫と人の関係をまとめると、大体こんな感じでしょうか? 「神」 ↓ 超自然霊「ティラ」(神の使い) ↓↑ 交信 ←占い師 間を取り持つ 祭壇に置かれた木彫り「バディバ」 → 時々、祭壇の外に外出する ↓ ←占い師 間を取り持つ ロビの人々  富や健康、豊作、結婚、出産などの幸福をもたらす   ■多種多様な護符 妖怪や病気、攻めてくる敵から身を守る為の護符 富や健康、豊作、結婚、出産などの幸福をもたらすもの   ■美しい建物やインテリア   ■音楽   reference:The University of Iowa Stanley Museum of Art , Art &Life in Africa  

ブルキナファソ 自転車の風景

まず、ブルキナファソとは? ブルキナファソ(Bukina Faso)はに西アフリカの国で、サバンナとステップ気候にまたがった降水量が少ない比較的乾燥した暑い国です。(気温18-39度) 島国の日本と比べると、起伏が少なく広く平たんな土地が国全体に広がります。 アフリカの国は資源が豊富な国も多いのですが、ブルキナファソは目立った資源が見つかっておらず、国民の大部分が農業に従事している国で、経済的にはアフリカの中でもまだまだ高い水準とはいえません。 (余談ですが、北東の隣国ニジェールも発展これからの国ですが、ウランに続き・金・銀などの鉱物、更に油田も見つかり、お隣ですが、国の未来図は分かれそうです。)   ブルキナファソと自転車 ブルキナファソは自転車愛好の国で、周辺国と比べてもサイクル人口は多い気がします。(私の感覚ですが) 首都のワガドゥグーでも、ちょっとそこまでというか、数キロ先に行くようなミニバスやタクシーなどが割と少ない感じがします。(バイクタクシーはあるけれど) 土地が平らな事もありある程度道が舗装されているとかなりスムーズに自転車をこげ、もちろん健康にも良くガソリンも要らないので経済的、色々なところで推奨もされています。 昔は徒歩で移動していたところを、自転車を使うことで移動時間の短縮が出来ます。仕事や家の手伝いをしながら学校に通えたり、週3回市場に野菜などを売りに行っていたところを毎日売りに行けたりと、収入にも繋がるそうです。モーターサイクルや自動車も増えていますが、自転車はまだまだ生活に欠かせないものです。   日本の自転車も活躍中 何気に、日本の中古自転車も大活躍しています。 先月、ブルキナの中古自転車ディーラーが日本に600台仕入れに来ていました。とても人気があるとのことです。 道のは舗装されているといっても、土のでこぼこした道が殆どで、パンクはしょっちゅうあります。ブリジストンなどはタイヤの性能も良く、パンクし難いので非常に人気があります。(アフリカではタイヤ命) ワイヤー自転車は昔からある定番のツーリスト向け雑貨なのですが、その素朴な雰囲気、ブルキナらしい自然派の志向、真面目な手仕事の温かみを感じます。 手仕事のワイヤーワークは、ブルキナだけでなくアフリカの人は、細長いものを編んだり捻じったりするのはとても上手、密かにアフリカらしさを感じる一品でもあります。   こちらは、ブルキナファソのサイクリングライフを推奨している団体の動画です。 (source Cycling with honourable people.wmv by Cyclingoutofpoverty)     こちらは、ワガドゥグーの雰囲気つたわるyoutube動画です、参考までに。      

バウレの布と仮面ダンス Baule cloth with mask dance 

コートジボワール バウレ(・ヤウレ・グロ)の絣や染布です。 コートジボワールの東南の方に多く住んでいる人たちです。 こちらの布はそんなに古くはないビンテージだと思いますが、体に巻いたり羽織ったりして身に着け、仮面ダンスでダンサーが羽織っている事もあります。 バウレグループはアシャンティなどと同じアカン語族の母系社会で、もともとは現ガーナ地域に住んでいました。アシャンティが強大になり、18C頃までにコートジボワールの東南地域に移ってきたといわれます。 色鮮やかで緻密な織布や金属工芸の種類と多彩さみると、アシャンティ系と少し似ている感じもするような、、(まあ違うのですが。) 因みに、バウレの有名なゴリ仮面文化はアカン系の人々とはまた別の文化の影響を受けたらしいです。   【絣の布を付けた仮面ダンス】※バウレとグロは近い民族   1コートジボワール グロ地方のザウリダンス (Zaouli dance of Gouro village in Côte D’Ivoire) 女性の美へのオマージュである伝統的なこの踊りは、2017年の無形文化遺産の保護のためのユネスコ条約に登録されています。Zaouliはショーの中で、彫刻(仮面)、織布(コスチューム)、音楽(歌と演奏)とダンス(踊り)を組み合わせています。コートジボワールの各グロGouro)村には、有名なザウリ(Zaouli)ダンサーがいます。踊るのは男性ですが、仮面を身に着けてライオンの娘であるザウリを表現します。 →詳しくは、ユネスコのページへ   ■このダンサーは凄いです。流石、世界遺産!   ■2018年に作られたコートジボワールの映像制作会社のPR動画で、プロ作だけあってとても見やすいです。 仮面は7種類あり、その持ち主を表した現代的な寸劇風になっています。仮面をつけたダンサーがバウレ布を羽織ってます。     ■こちらはゴリ・ゴナン仮面ダンスにノリノリの歌をつけてるミュージックビデオ?のような動画で、なんか、面白いです。周りの人たちが腰に布を巻いています。 ゴリ・ゴナンは村で不幸や厄介ごとなどが起きた後に踊られる役割の仮面です。      

トゥアレグクロスの作り方   Making of the Tuareg cross

トゥアレグクロスは、トゥアレグの人々が住む地域ごと(町ごと)のシンボルマークです。 元々は、父から息子に一人前の大人になった証として渡されるもので、トゥアレグの男子はサハラの交易の旅に出る時に、一人前の男性として認められるそうです。(意味は ”son, I give you the four direction of the world because we do not know where you will die” ) 現代では主に工芸品として作られ、トゥアレグの中では女性が装飾として付ける事の方がが多いようです。 トゥアレグクロスは21種類あり、1970年代頃から職人によって下のようなセットを作り始めたようです。 ※参考文献 「ART BEING TUAREG」     トゥアレグクロスはイナダン(Inadan)といわれる職人集団によって、ロストワックスで型取りしてから柄を彫って作られます。 クロスの彫柄は家紋のような柄を受け継ぎながら、職人アレンジも加えられていたようです。 このイナダン軍団はトゥアレグとはまた違う金属加工・木工・皮革加工などの血族職人集団で、トゥアレグから注文を受け彼らの装身具や身の回りの道具などを作っていました。   トゥアレグクロスの中で一番有名なものが、アガデスクロスで、アガデスの町(地域)のシンボルマークです。 アガデス(Agadez)はいまは各国に分散しているトゥアレグの総本拠地で、ニジェールの世界遺産になっているサハラ砂漠に近い街です。     こちらはアガデスクロスを鋳造している動画と、叩いてる動画です。     シンプルな道具を使い、昔ながらの方法で作られています。   ついでに、下は西アフリカの金属加工職人の本「Legacy」のプロモーション動画です。 西アフリカの金属加工の風景は本当にこんな感じした。 西アフリカには、トゥアレグだけでなく他にも素晴らしい職人が沢山います。  

西・中央アフリカ、かつての象徴貨幣と、今後の通貨

20世紀なかごろまで、コミュニティごとに機能していたごとに象徴貨幣です。 こちらは、ナイジェリア東・北カメルーン、キルディの貨幣です。(ヘビモチーフ) 普段の支払いというよりは、結婚の時に花嫁の実家に渡したり、土地の取引や財産の譲渡など節目節目の大きい取引時に使われ、結婚時の使用が多かったようです。 鉄器や農具など鉄鋼にまつわるもの、動物などがモチーフになっているも多く、権力や強さを表すとされていました。 子安貝も通貨として使われていましたが、子安貝はナイジェリアのすごい田舎ではまだ地域通貨として機能しているところもあるそうです。   そして、話はいきなり現代の貨幣へ飛びます。(すみません、、) 今、西アフリカや中央アフリカでは旧フランス領だった14ヵ国が、CFAフランという通貨を使っています。 CFAは元はフラン(今はユーロ)とレートが固定された通貨です。 インフレなどが起こりにくく安定しているものの、外貨準備金の50%をフランスに預けなければならないなど(自由に投資などできない)、植民地政策を引きずっている側面もあり長らく議論されてきました。 そして去年、西アフリカの15か国が加盟する「西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)」は、2、新たに導入する共通通貨の名称を「ECO」とすると決定し、2020年までにECOの導入を目指すと声明を発表していています。 ただ、ECOWAS加盟国の中でも、国によって経済格差が大きく、今でもいろいろ意見はでてきてるようです。 個人的には上手く単一通貨ECOに移行出来たらよいのではと思うのですが、まとまれるか?! 西アフリカを何か国か回ると、国境も接していて文化も言葉の結構リンクしているのに、旧宗主国の違いで通貨が違っていて、貿易や交通の面でスムーズにいかない事もあります。 ギニア湾岸の国は元フランス領とイギリス領が交互に横に並んでいて、東西を移動するときに通貨をいちいち両替しなければならないので、統一されればすごく便利だと思います。   参考にまでに↓ ブルーバオバブのアフリカニュース動画へのリンク アブさん&Konoさんのアフリカニュース 西アフリカ通貨問題編 Parler de la monnaie ECO en Afrique de l’Ouest