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2020年

気になる西アフリカ映画【OKOROSHI】

2019 トロント国際映画祭(TIFF)ででプレミア上映されたノリウッド映画、 「The Lost Okoroshi」が面白いです。(Netflixで配信) ナイジェリアの新進気鋭の映画監督、Abba T. MAKAMA の作品です。 伝統的なオコロシ仮面の夢に悩まされていた警備員の主人公が、ある日突然、仮面に変身してしまいます。 オコロシ仮面になり人間に戻れない主人公、家族や仕事を諦め、秘密結社の普遍的な原理を探す旅がラゴスシティで始まります。 そして、ナイジェリア古来の精神と現代の瞬間を再接続する使命を開始します。   映画について、マカマ監督はこう述べています。 「私はいつも仮面舞踏会に魅了されてきました。彼らはほとんどすべての国に存在し、普遍的な魅力を持っています。 人間にマスクをかけることで、突然彼らを霊に変えることができるという考えは、常に私を魅了してきました。 私はアフリカ人が彼らの文化や伝統と連絡を取り続けたいと願っています。 グローバリゼーションによって私たちの過去とのつながりがますます難しくなっています。 仮面舞踏会は一般に悪魔化され、西洋の宗教では悪い兆候と見なされています。このプロジェクトでは、物語を変え、仮面舞踏会をカラフルで遊び心のある良性の実体として再紹介することを目指しています。」   展開が早く活気に満ちたコメディドラマです。 映画のビジュアルは、なんとなくシャルル=フレジェっぽい雰囲気、透明な空気感も魅力的です。   以下の予告編をご覧ください。     そして、Abba MAKAMA監督の前回の作品がこちらです。 GREEN WHITE GREEN de Abba MAKAMA Nigeria – 2016 – 102min – Film  VOST project ウソマ、セグン、ババは高校を卒業したばかりで、大学に入る前の自由の瞬間を楽しんでいます。ナイジェリアの歴史についての本を書いている教師の1人のリバータリアンの精神に魅了され、彼らは自分たちのアイデンティティを求めて彼らを迎え入れる映画を作ることにしました。ユーモアとインテリジェンスが豊富なグリーンホワイトグリーンは、ナイジェリア風の映画館の前衛に私たちを突き刺します。 ウソマ、セグン、ババは中学校を卒業したばかりで、大学に行く前の夏休みにいます。彼らはナイジェリアの歴史についての本を書いている過激な教授に興味をそそられ、彼らは映画を作ることを決定し、その過程で自己発見のジェットコースターに乗り出します。機知と風刺がたくさんあるグリーンホワイトグリーンは、ナイジェリアのアートハウス映画の前衛に座ります。   site source by https://tiff.net/events/the-lost-okoroshi GREEN WHITE GREEN de Abba Makama

サバンナで映える、モシ人の青と白の布

ブルキナファソで作られる手織りの青や白の布がよく知られています。 一枚の布は、もともと女性が体に巻きつけて着るもので、男性は腰巻や褌のようなもの、身分によって上着やパンツを仕立てて着ます。   女性達は今では、普段はアフリカンプリントを着ていますが、お祭りや民族のイベント事の時には一緒に着用しているようで、下の写真はモシの村の一例です。   こういった布は、大体、紬が女性、織りが男性によって行われます。 紬ぎは駒のような簡素な道具で紡がれ、織りは細幅の腰機で織られます。 そして、10cm前後の幅で織られた布を繋いで、大きい布を作っていきます。   西アフリカ一帯で広がるこういった綿織布は、モシなどは比較的は早く取り入れられたといわれますが、その起源やいつ頃から普及してきたのかわからない事が多く、特にこの織機に関しては謎が多いです。 布を織って身にまとう、着衣の文化自体はイスラム教の普及とともに、北アフリカから西アフリカに伝わったといわれていますが、北アフリカではこのような細幅の腰機は使わなかったそうです。 川田順三先生によると、この織機は西アフリカ一帯に広がっていますが、組み立て移動式のポータブル仕様なのに、仕組みは高度に出来ているそうです。 また、織機の部位の名称がいろいろな民族の言葉で割と似ている事から、ある程度完成した形や仕組みが、比較的新しく伝播したことがわかるそうです。 新しいといっても日本で綿織物が普及した江戸時代よりかは古く、しかもその様式が変化することなく今でも生活に根差し多く行われているといいます。 この織文化、陶芸や鍛冶鉄などのサバンナで明らかに古いとわかっている工芸と比べると、生贄や職りにまつわる禁忌・儀礼的要素が無いといいます。また、出自による作り手の資格の制限もないようで、そういった事からも比較的新しく生まれた文化といえるそうです。 また、ブルキナファソ・モシの人達はこういった細幅の布を作りを一般的には農業と兼業で行い、乾季から雨季に入る農閑期(3月~6.7月)に行います。 11月に、ワガドゥグから100km程北のモシの村に織機を見に行ったら、織機は跡形もなく解体されていました。     川田順三先生によると、「白」という色はサバンナの自然の中では、カオリン質の白土からできる粉、ニワトリや羊などの毛や羽以外はあまりみあたらないそうです。 ブルキナで綿花が栽培され始めたのはフランスの植民地以降といわれますが、それにより西アフリカの白い布は日常的に作られるようになりました。 今の私たちからみるとなんの変哲のない(何もしていない)布のように見えますが、布自体が西アフリカに普及していなかった時代、当時の人からみると人の手が作りだした「美しいもの」に見えたのではないでしょうか? 柔らかくフカフカしたこの布を触ると、染めずにそのままの抜くの色を衣装にしたモシの気持ちが少し伝わる気がします。     その他、ブルキナにはダフィンと呼ばれるストライプ系の布が有ります。 この布、少し謎だったのですが、長らく放置してあったワガドゥグ博物館で撮ってきた写真をもう一度見直してみると、ヒントが写っていました。 大体この手のストライプの布は、まとめてダフィン(モシ語)と呼ばれているブルキナの西に住む人々(Mrka Bobo Samo/san など)が作っているようです。   細かく見るとストライプにも民族ごとに違いがありました。   博物館( Musée National du Burkina )の展示によると、ブルキナには70近くの民族がいるとのこと、布を作っている民族が2つだけという事はということはないのですが、似ているものも多く、細かくも把握も出来ないという感じです、、、。 織機の謎も含めて、少し深堀すると色々出てくるアフリカ。 後から点と点が繋がる事が多く、またそれも面白い所です。 そして、サバンナの土地に映る白と藍と褐色のコントラストはとても美しいです。   参照:サバンナの博物誌

西アフリカの宝貝カルチャー

このブログを書いた発端は、アフリカの物に限らず、元々は宝貝が付いていた民具や装飾品の貝をわざわざ取りはずして、伝統的なものとして紹介する事に少し疑問があったからです。 最近、綺麗な宝貝が手に入った事もあり、西アフリカと宝貝の事を少しまとめてみました。 アフリカでの宝貝(カウリーシェル・子安貝)は様々な用途で使われてきました。 装飾としては古くより使われてきたのは、コンゴのクバの装身具や、カメルーンの内陸、エチオピア高地のオロモの背負い袋や容器などで、比較的内陸で多湿な限定的な地域だったそうです。内陸といってもカラハリ砂漠などの乾燥した地域では使われなかったそうです。 また、西アフリカでは交易を通してまず通貨として流通していき、その後、様々な装飾にも取り入れられました。     世界最古・最も広く使われた通貨、宝貝 宝貝の利用は紀元前16世紀から始まった古代殷王朝でみつかっています。黄色宝貝がハカに埋葬されており、財産として利用されたといわれます。西アフリカでは、14世紀にマリ帝国に訪れた探検家のイブンバトゥータが、宝貝が通貨として利用されている事を書いています。 17-18世紀に栄えたダホメー王国では、市場で宝貝がないと何も買えなかったそうです。 (ダホメー王国の宝貝についての詳細) 西アフリカで通貨として流通した宝貝は、モルジブ諸島からアフリカ経由でサハラ砂漠を横断し運ばれていったといわれます。 昨年アフリカに行った時ハウサの人が、ナイジェリア北の一部の地域では、貝殻が今でも地域通貨として使われているといっていて、実はその価値はまだ完全に失っていないようです。 宝貝の特徴と西アフリカでの通貨価値 きれいな白い貝殻は、通貨に必要なすべての特性を備えているといわれます。軽量で腐りにくく、取り扱いや輸送が簡単です。その形状は、即座に識別可能で、偽造が困難で、形状もサイズも均一に揃える事が出来て数えやすいです。     西アフリカで宝貝は、長い紐で40個ずつ束まとめられ、多額の支払いの場合、殻はバスケットに積み上げられました。 因みに、8世紀ころにアラブの商隊から西アフリカにもたらされた牛とと宝貝の交換レートは、大体このような感じだったようです。(牛は20世紀までの支払い手段、権力と富の象徴、今でも人気アイテムです。) 但し非常に大きな金額の場合、受け取った宝貝を運搬するのに、かなりの運搬(ポーター)費用が発生し、手に入れた貝を全て運搬費に使うこともあったそうで、そういった大規模の取引は、ハウサなどに代表される長距離交易を行う専門民族が行いました。 牛1頭=貝50束(40本×50束=2,000個) 奴隷一人=17世紀は貝1万個 奴隷の需要は時代とともに高まり、18世紀頃は貝15万個      交易に使われた宝貝 長い間宝貝は西アフリカ全体で流通し、銀貨・砂金・塩・金属のオブジェクト・腕輪のマニラ(Manilla)・布・ビーズなど、他の多くの通貨価値のあるものと共存していました。 また、ヨーロッパ人は、特定のアフリカの民族が小さな貝殻を好んでいることを知り、奴隷・金・象牙の取引に、貝殻の通貨を積極的に使用しました。 西アフリカでは長らく、こういった複数の通貨を使用することが一般的だったので、旧フランス領でフランを導入した後も通貨の統一に抵抗があったようで、しばらく宝貝はその価値を維持しました。 コンゴのクバ地域などでは、1940年代まで現役の通貨として使用されたといわれます。 通貨の併用が当たり前で、統一通貨を拒むあたり、多言語で多民族が共存するアフリカらしさを少し感じてしまいます。   宝貝、西アフリカの村での役割 小さな村では、外部との取引は長老たちの責任と特権でした。村人が生産した商品(過剰な穀物、養蜂からの蜂蜜、布、鍛造金属など)は外部の商人に販売され、収益は村の共通資金に保管されました。 高齢者は保管された通貨を使用して、地域社会のために道具、薬、牛などの必需品を購入しました。 村内での取引の多くは物々交換の形で行われ、通貨は殆ど使わなかったそうです。   宝貝文化はまだまだ続く 現代の西アフリカでは宝貝は通貨として機能していませんが、その文化の痕跡は残っています。ブルキナファソのワガドゥグーでは、貧しい人々にコインと宝貝を混ぜて渡す時があるといわれます。 ガーナの通貨「Cediセディ」は「宝貝」を意味するアカンの言葉で、1955年発行のガーナの20セディのコインには、宝貝が刻まれていました。   また、宝貝は丸みを帯びた曲線は妊婦のお腹を連想させ、生殖能力の象徴とされます。 貝殻のスリットは黒い瞳のように見えることがあり、邪眼を防ぐためにも使用されます。 装身具用のビーズとしてもよく使用され、ジュエリーに組み込んだり、髪に着けたり、彫像や仮面やバスケットを飾ったりします。 また、西アフリカの伝統的文化に欠かせない占いにも良く使用されます。 ドゴンの占い   異文化の価値観 日本ではなじみの薄かった宝貝ですが、地域が変われば価値も変わります。 海が遠い内陸の民族は、アフリカだけでなく宝貝を美しさ・豊かさの象徴として扱ってきました。 今ではただの貝殻という扱いが一般的だと思うのですが、その背景や歴史を知ると、宝貝を使っている様々な民族装飾も一味違って見えてくるかもしれません。     参考文献『貝の道』 参考サイト http://www.nbbmuseum.be/en/2007/01/cowry-shells.htm    

夏に聴きたい、西アフリカのポップミュージック

一人でアフリカに行くようになってから、アフリカポップミュージックをよく聞きます。(音楽は全然詳しくはないのですが) タクシー、バスなど、結構爆音で音楽がかかっていて、日本に帰ってきても音が記憶に残り、何回も聴いてしまいます。 クラシック音楽も好きで聴くのですが、クラシックはヘッドフォンで集中、アフリカンポップは窓全開で、少し音大きめで聞くと気持ちが良いです。     TEMS ナイジェリア女性シンガー 去年からブレイクしているようで、DAVIDOとも何か一緒にやっていたような、、。         KING AYISOBA ガーナ ガーナ北部のボルガタンガのアーティスト。フラフラ人の伝統楽器コロゴを使ったファンキーな音楽 ボルガタンガの場所 google map      M’ba Anaaba フラフラの伝統音楽 FOLI (there is no movement without rhythm) original version by Thomas Roebers and Floris Leeuwenberg 西アフリカの大体西側に住むマリンケ(マンディンカ)のリズム   Songhoy Blues マリ       KING PROMISE  - CCDC ガーナのアーティスト。 少し前のですが、ガーナのアクラに行った時に、この曲が色々な所でかかっていました。 西アフリカのギニア湾岸ではガーナのアクラの他に、コートジボワールのアビジャン、ナイジェリアのラゴスが海岸沿いの大都市なのですが、其々雰囲気が違います。 海岸沿いは爽やかな潮風の中に少し湿度があり、アクラは床屋も多いです(これは他も多いですが)。ドレッドの人も多いですし、道のフルーツも屋も多い気が。(アクラ、フルーツの買い食いしやすかったです。)日曜は色々な所でゴスペルが聞こえてきます。アクラから東へ行く、海岸沿いの幹線道路をよくとおていたのですが、物流のトラックも結構走っています。 このPVは、アクラのリアルな風景を、爽やかに切り取っている感じがします。     アイキャッチ画像は、初めてナイジェリアに行った時に買った、CDショップスタッフお勧めのヨルバのシンガーOBAで、検索してみましたがみつからないです、、、。  

サハラに人が住んでいた頃の装身具

サハラ砂漠、かつては緑にあふれ、人も動物も住んでいた。   今から約1万年程前には、アフリカ全域にわたって私たちの直接の祖先である新人類が活躍し、後期石文化がみられたそうです。 大体その頃の、今から8000年~5000年前頃(諸説あり)は、地球の気候先導の影響で、今のサハラ砂漠周辺は湿潤化し、森林が育っていたといわれます。 今のサハラには人が住み易いとは言い難いのですが、この時期人々は野生動物の狩猟や牛の牧畜が営み、その状況は多くの壁画が残されています。     そして、今から5000年程前にサハラ一帯の砂漠化始まり、現在のサハラ以南のアフリカに人々は生活の場所を移していったといわれます。 丁度その頃、ナイジェリアの北部のジョス地方ではノック文明(NOK)が起こり、美しいテラコッタの頭象の数々、青銅器時代を飛ばした鉄器文化も確認されています。     古代の人の石の装身具 こちらの装身具はそんな時代の頃の物でしょうか、ニジェールの砂漠からみつかった石の装身具です。     ベージュピンクの細長い10cm程度の棒は古代水晶で、古代の人のピアスでした。(これは小さい方で、倍くらいのサイズもあります。)何か、ピックとしても使えそうです。 丸いベージュの石の方は、古代の石の貨幣を思い起こすようなデザインで風化したような質感、ペンダントにもなります。 グレーの石は逆に研磨してあり、端にギザギザを付けた簡単なナイフ式のペンダントです。 それぞれ形や質感も違いますが、どれも実用性と装飾性を兼ね備えた、美しい装身具です。     最後に 以前、サハラの砂漠化がなかったら、ヨーロッパの大航海時代はなかったかもしれない、というような記事を見たことがあります。確かに、そこに人が住み続けていたら全く違う歴史が生まれ、現在の世界の状況も大きく違いそうです。 気候変動というか、自然の大きい力というか、人はどんなに頑張ってもそれに逆らえず、それに沿ってのみ生かされる事を改めて実感します。 研究者によると、サハラの砂漠化と緑地化は23万年毎に繰り返されるそうです。 6000~8000年ほど前はサハラは豊かな牧草地だったわけですから、人類の歴史は丁度砂漠化し始めた頃と重なったのかもしれません。 これから先どこかの時代でサハラ砂漠に木々が育ち始め、森林が覆う土地に変わり、その時人類が存在しているのなら、今とは全く違う世界が広がるかもしれません。そして、その時代サハラの人はどんな装身具をしているのだろうと想像してみたくもなります。       参照:新書アフリカ史,  Fall of Civilization Podcast

装身具とトゥアレグの社会

トゥアレグの歴史は古く、千年以上サハラを交易してきた民として知られていますが、いつどこから来たのか、そのルーツははっきりとはわかっていません。 通説で言われている事は、彼らはベルベル人の系列で、言語はタマシェク語(Tamachek)を話、その表音文字のティフィナグ文字(Tifinagh)を看板や標語などで現在でも使っています。 また、古代リビアのルーツを持っているといわれ、トゥアレグは紀元前5世紀にギリシャの歴史家ヘロドトスによって記録されています。(そういえば、カダフィの元でトゥアレグ戦士として戦ってました。)     現在、ほとんどのトゥアレグはある程度のイスラム教を実践していますが、彼らは多くのイスラム以前の伝統を守っています。 その一つに、女性がある程度自由を持っている社会的システムがあります。 コミュニティの決定事項には女性も参加しますし、家系と財産の継承も母系を介して行われます。 女性はテントや動物などの財産を所有し、離婚後の生活も保証されるようで、離婚後は家族でパーティーでお祝いをするようです。(財産を持って帰ってくるからでしょうか?) また、女性の結婚前の生活も、社会とプライバシーのルールを守る限り複数の恋人を連れて歩けたりと、比較的自由があり婚期も遅めだそうです。 ヘアスタイルやファッションへの美意識もとても高く綺麗な女性が多いですし、ジュエリーも女性の方が沢山身に着けます。   伝統的なトゥアレグ社会では、人前では男性は頭と顔をベールで覆い、女性は頭にはベールを被るものの顔は隠しません。 ベールの着け方はイスラムを取りいれる以前の伝統で、砂漠の砂避けとか、悪霊から身を守る為もあるとのこと。 理由はどうであれ、砂漠に映るその誇り高い”青いベールの姿”は非常に美しく、それは多くの人を魅了します。何千年もの時を経て、それが今に残るのは頷くばかりです。     そして、このトゥアレグの社会の有りよう、道具や装身具にも現れている気がします。 こちらのトゥアレグの錠前は、女性の鞄に付けるものです。 始めは女性の鞄用?と思いましたが、女性を取り巻くトゥアレグの伝統社会を知ると、少しその社会を物語っている気がしました。     こちらの鍵は全て手で作ってあり、実際使えます。 やはりトゥアレグの職人集団のイナダン(Inadan) は凄いですね。(因みに、イナダンとトゥアレグのルーツは違うといわれます。) 開け方は下の動画で、鍵の裏にはティフィナグ文字も少し刻まれています。 弧を描くような柄は月を表すといわれ、女性の装身具によくみられます。※但し柄の由来は諸説あります。     現代ではそういったトゥアレグ独自の社会的な伝統も徐々になくなってきているといわれます。特にイスラム過激派のアフリカへの影響は、保守的なイスラムの生活スタイルへの移行につながっているといいます。 何千年と続けてきた美しい文化、有形の物だけでなく、その根底にある伝統的な文化や社会が消えてしまうのは少し寂しい気がします。         参照:ART BEING OF TUAREG , The Tuareg https://www.dailymail.co.uk/news/article-3131511/Sex-Sahara-Striking-photographs-mysterious-Islamic-tribe-women-embrace-sexual-freedoms-dictate-gets-divorce-don-t-wear-veil-men-want-beautiful-faces.html http://www.bradshawfoundation.com/tuareg/index.php