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多様性

西アフリカのお守り「グリグリ」GRIS-GRIS

グリグリGRIS GRISとは? グリグリ(Gris-Gris)は、アフリカを起源とするブードゥー信仰のお守りで、着用者を悪いものから保護したり、幸運をもたらすと信じられるお守り(護符)です。 アフリカ大陸からアメリカ大陸にかけて広い地域で信じられているお守りで、西アフリカから奴隷貿易を通じてハイチを中心としたカリブ海地域に広まり、キリスト教徒融合したヴードゥー教のお守りとして現在も使われています。 祈願の内容も様々で、旅の安全祈願・避妊や懐妊祈願・勝利祈願などいろいろありますが、一番よく身に着けられる理由は旅の安全祈願だそうです。 西アフリカで使用されていた元々のグリグリは、小さな革の袋の中に、ハーブ、オイル、石、骨、髪、爪、その他の身の回りのものを入れ、すべての要素が揃ったら神の名によって祝福されるというお守りで、シャーマンに祈祷してもらい儀式的に身に着けるものとされています。 そして西アフリカでは、11世紀以降のイスラム教の広まりとともに、グリグリの中身はイスラムの精神的指導者から祈祷して貰い記号化したコーランの紙を入れたものが多くなっていきます。 その始まりは、現在のガーナ北部に12世紀に起こったダグボン王国 (Kingdam og Dgbon 11C-20C)から始まったといわれ、 塩やコラの実や奴隷の交易で栄えた王国で、2代目の王様の統治時にイスラム教が正式に採用されたといわれます。 また丁度ダグボン王国が栄えた同時期に、北にモシ王国・さらに北西にバンバラ人が起こした強大なマリ帝国が同時期に栄えました。其々の国がイスラム教を取り入れたことで、13~15世紀に西アフリカに広く民族の壁を越えた民衆の間にもイスラム教が広まり、それとともにグリグリ信仰も広まったといわれます。   コーランの入ったのグリグリ 西アフリカのトゥレグ・フラニ・ウォダベなどの交易や遊牧など移動を生活の生業とする人々は、非常に多くの人達がお守りを身に着ける主観を持っています。 トゥアレグのグリグリは記号化したコーランの入ったもので、何世紀にもわたり培われた西アフリカの民間信仰・イスラム化・トゥアレグのフォルム・北アフリカの信装飾が融合したハイブリットな形が特徴的で、様々な要素がすっきりしたデザインに落とし込まれているところも素晴らしい伝統的な護符です。   また、トゥアレグと近い場所にエリアに住む遊牧民のフラニやウォダベの遊牧民の間では、骨や石や金属などの異素材はグリグリと一緒にジャラジャラつける着け方で、ヴードゥー教の要素をメインに革の中身にコーランを入れる仕様が多いです。     セネガルのグリグリ セネガルではより生活に身近な願掛けお守りとして、グリグリは人々の実生活に幅広く根付いています。 身に着け方もベルト、ブレスレット型など様々で、旅行安全祈願、避妊又は懐妊祈願、レスリングの勝利祈願などの目的で、夫婦やレスラーまで幅広い人々に身に着けられます。最近では有名なマラブー(セネガルでのイスラム教の指導者)に、オンラインで中身を祈願してもらうお守りものあるそうで、有名なマラブーに頼むとが最低料金が200万CFA(約2,950ドル)を超えることもあったり、売れっ子のマラブーは価格が上昇するそうです。 また、懐妊祈願のグリグリは50ドルくらいの最低料金に子供が出来たら成功報酬というパターンもあるようです。 ※セネガルのレスリングの素敵なサイト  https://maptia.com/christianbobst/stories/the-gris-gris-wrestlers-of-senegal   セネガル相撲の動画 in Mali  (いつか、みてみたいです~) 因みに、セネガルのものだけではないのですが、西アフリカで広く見られる革のブレスレットもグリグリの一つ、若しくはグリグリ由来の形のようです。   カリブ地域に広まったヴードゥー教のグリグリ 奴隷貿易とともに西アフリカからハイチを中心としたカリブ地域に広まったヴードゥー教はキリスト教徒融合していきますが、グリグリおお守り文化はまだ色濃く残っています。       まとめ アフリカには3000を超える多くの民族が住み、様々な護符といわれるものが古来より存在してきました。 個々の民族特有の形や意味を持つお守りや願掛け人形もありますが、様々な民族に共通する信仰によって自然の広まったお守りもあります。そこには、人間が決して住み易いとは言えない場所も多いアフリカ大陸の気候や環境の中で、其々の民族の文化を尊重しながらも、多民族が共存しながら互いに幸せを享受し合う相互扶助の精神が表れている様に思います。 アフリカの近代以前の歴史は文字に残ったものは少なかったけれども、様々な民族の関わり合いの中で言葉や風習や技術や形が相互に作用しあい、アフリカ大陸の文化や文明がとてもダイナミックに展開されてきたことが、一つのお守りからも伝わってきます。 アフリカのモノは見ただけで伝わる力強いものも多いですが、それは今までアフリカ大陸で展開されてきたなダイナミックな歴史と文化の文脈が、デザインを通して伝わってきている様にも感じます。 そして、文字を持たなかった地域が多かったが故のアフリカの形やデザインは、逆に、文字を介せずとも伝わる形の表現を創造し、それが今日アフリカ美術の高い評価に繋がるようにも思います。

一目でわかる!多様なアフリカの民族

アフリカの民族地図 人類学者のマークレオフェリックス(Marc Leo Felix)が編集した、ハーバード大学のアフリカの民族の地図です。 各色は人々の所属認識に基づいて色分けしてあり、大多数を構成する民族グループにほぼ対応しています。 この調査では、サハラ以南のアフリカには、地球上で最も民族的に多様な国の多くが含まれていることがわかります。 特に、西部アフリカと中央アフリカ全体に、非常に多くの民族がいる事を示しており、このようにビジュアルで見てもとても美しいです。   そして博士によると、この地図を見る時に、留意する事が3つあるそうです。 ①言語と民族の多様性はよく連携する。 必ずではないが、言語はあらゆる社会的コミュニティの基本的で、民族性は多くの場合、コミュニティーの性質と似ています。   ②民族のアイデンティティは柔軟。 特定の人は、彼または彼女が交換して使用する複数の民族的アイデンティティを持っており、それは全世界に共通します。   ③民族的アイデンティティーは変化する。 その一つの原因に、経済的困難、身体的不安、政治紛争の際に、民族的アイデンティティが狭くなることがあります。。例えば、2002年のハーバード大学の研究が指摘では、ソマリアの民族的アイデンティティは、その国の飢饉と内戦の後でかなり狭まりました。 ただ、そういった紛争や資源不足がサハラ以南のアフリカの民族の多様性を引き起こしているわけではないです。例えば、中国の飢饉と内戦は、世界最大の民族グループの1つである漢民族のアイデンティティを狭めることもなく、インドネシアは近年発展していますが、民族が均一化しているわけではないです。 サハラ以南のアフリカに関しては、民族の多様性の多くは地理に関連している可能性が高いようです。特に人口がまばらな地域は、多くの場合、民族的に多様性があります。各コミュニティー間には地理的距離があり、数世紀前より進行している民族の均一化に時間がかかったといわれます。 博士のまとめ 現代のこの多様性は、たとえば標準化された国家教育の導入には困難をもたらす可能性がありますが、良い点も多いです。 非常に民族的に多様な国は、1つのグループが他を支配するのに十分な大きさがないため、民族紛争に対して抵抗力があります。 そして、すでに均一化してしまっている国と違い、このような多様性は、簡単にアーカイブできる時代にを背景に、今後も継承しやすくなっているともいえる。   感想 Felix博士の”経済的困難、身体的不安、政治紛争の際に、民族的アイデンティティが狭くなる”という指摘は、まさに今、国境・コミュニティを閉ざしていく方向に向かっている状況とリンクしてしまいました。 ここ2か月、コロナの自粛が始まってから、アフリカを中心にビデオアーカイブをよく見ています。仮面ダンスなどは木製以外も結構ありますし、儀礼用品や民具だけでなく、建築や音楽や踊りもとても多様で、まだまだ知らないことも沢山あり、とても興味深いです。 アフリカは元々無文字の社会も多く、それまでは伝統的な生活続ける事で口承で伝えられ、記録を必要としなかった文化も多いです。 しかし、今時代が急激に変化しており、伝統的な生活をそのまま続けていくのは困難があると思います。 博士が言うように、せっかく簡単に記録・保存できるこの時代までしっかり伝統をリアルに守ってきているのだから、出来るだけアーカイブを行い、伝統的な姿や考え方などが残る事を期待します。 こういった多様さはアフリカだけでなく、色々な地域にあると思います。(インドネシアなどもカラフルなモザイクになりそう) そしてその中には、これだけの多様な文化や民族同士が何千年も共存してこれた、根本的な秘訣があるかもしれないです。   参照サイト:https://www.vox.com/2015/11/10/9698574/africa-diversity-map ※地図のデータは1959年の人類学者ジョージ・マードックの民族誌(1595年)と、ハーバート大学の研究(2002)が基になっている。