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2.アフリカカルチャー

アフリカのヘアスタイルと床屋の看板

アフリカの長く豊かなヘアスタイルの歴史 アフリカの髪型のルーツは紀元前のエジプト時代にまで遡るといわれ、様々な民族によって何世紀にもわたり受け継がれたスタイルがあります。 初期のアフリカ文明では、ヘアスタイルは人の家族の背景、民族、社会的地位を示し、それはアイデンティティを現してきたともいわれます。 現代でもアフリカでは理髪店や美容院が多く、髪型を整える為に時間を費やし、髪に関する美容代の割合が比較的高いともいわれます。 西アフリカの街の床屋 ナイジェリアの写真家であるアンドリュー・エシエボ(AndrewEsiebo)は、西アフリカの7か国(ベニン、コートジボワール、ガーナ、リベリア、マリ、モーリタニア、セネガル)を旅して、街の中で床屋が現在どのように機能しているかを確認し、サロンの美しさを写真で記録しました。     エシエボは次のように説明しています。 理髪店は、人々が家や公共の場で、政治や恋人さえも含めて、話せないことについて話し合うための親密な場所です[…]さまざまな分野の人々がさまざまなクラスの人々が集まる数少ない場所の1つです。 、ミックス[…]彼らのサインは、しばしば光沢のある色で手描きされ、道具や男性のヘアカットの奇妙な複製であり、伝統と現代性の共存を反映しています。     床屋の中には比較的現代風のものもあれば、シンプルな形態もありますが、ほとんどの床屋は、黒人の文化、スポーツ、音楽のアイコンの写真で飾られることが多いです。 エシボによると、スタイルの多くと、そのように髪をカットすることを選択した個人的な感覚は、国・文化・政治の枠組みを超えるといいます。 そして、顧客は流行のスターやアイドルと同じ髪型を望むことが多く、理髪師はその要望に応えます。   床屋の看板とアーティスト 理髪店は、外側に手描きの看板が釘付けになっているシンプルな店は自分で看板を作ることもありますが、多くの場合、独学の看板アーティストによって木製のパネルに描かれています。   このような看板は、1930年代から1950年代にかけて都市部でサービスを宣伝するために最初に登場し、その後村ままで普及していきました。 小さな小屋もありましたが多くの場合、野外にハンドル付きの携帯用看板を吊るし、椅子と鏡を設置し、床屋をオープンしました。 看板はしばしば最新のヘアスタイルを提示します。 アメリカの大衆文化の影響は、「ボーイング」「フォード」などの名前のついたアフリカの現代的なヘアスタイルを生みトレンドを維持してきました。   美しい剃り込みの美学 アフリカの床屋の看板は横向き絵が多く、美しい頭の形と剃り込みのラインを強調します。   現代では、印刷ポスター、モダンスタイルの建築の出現により、アーティストによる床屋の手書き看板は少なくなりました。 しかし、壁に直描きのお店はまだ健在で、このようなお店はゲームや携帯電話サービスなど追加のサービスも提供しながら、人々が集まり交流する身近な場所であり続けています。     西アフリカの新しい美容ファッションカルチャー 髪型だけでなく昔より美容の意識が高いアフリカでは、様々なビューティートレンドが生まれてきています。 ガーナではセレブに人気のの出張ヘアサロンサービスが人気で、中央アフリカ共和国では男性ネイリストが活躍するなどジェンダーレスに美容業界が盛りあがりをみせています。 これからもアフリカの様々な街で、新しいムーブメントが起こり、それとともに新しいアートとカルチャーが誕生し、アフリカの感覚で今の時代を映しだしてくれるのでしょう。   中央アフリカでの人気のネイルサロン ビューティー産業で大活躍する、中央アフリカ共和国の首都バンギの男性たち   ■『西アフリカの街』展 開催中  ■ 駅のカフェに、西アフリカがやってきた! 2022年 4月15日(金)~7月15日(金) AM6:00-PM9:00  アートの買える駅のカフェ TOMORROW gallery BECK’S COFFEE SHOP 高田馬場店内 西アフリカの街を彩った看板・ペイント・作家作品など、カフェ店内での展示とオンライン販売    

どこかで耳にした事があるアフリカの歌

日本でもどこかで耳にしたことがある、アフリカの有名な歌(民謡・歌謡・童謡)を何曲か集めました。 様々なバージョンでカバーされている曲なので、原曲とは少し変わってきているものもありますが、誰が聴いても覚えやすい音とリズムです。 【マライカ MALAIKA】 1945年にタンザニア・ケニア発祥のスワヒリ語の歌です。 スワヒリ語の歌の中で世界で最も広く知られている歌の一つで、貧しい男性が隣村の美しい可憐な女性に恋し、彼女を「マライカ(天使)」天使と呼びながら思いを寄せる美しい歌です。様々な歌手にカバーされています。 ■Miriam Makeba- Malaika (Live Performance 1969) 南アフリカの女性歌手 ミリアム・マケバ(Zenzile Miriam Makeba)が1960年代にカバーし、『マライカ Malaika』は世界的に広まりました。   小野リサ 「Malaika」 【ワカワカ Waka Waka】 シャキーラがカバーした2010年に南アフリカで開催されたFIFAワールドカップの大会公式テーマソング『ワカワカ Waka Waka』が有名ですが、こちらも様々なバージョンでカバーされています。 原曲とされる楽曲とは、1986年にカメルーンの音楽グループ、ゴールデン・サウンズ(Golden Sounds/Zangaléwa)からリリースされた大ヒット曲『ザンガレワ(サンガレワ)』(Zangaléwa/Zamina mina)です。 ゴールデン・サウンズのメンバーは主に、当時カメルーンの大統領アマドゥ・アヒジョの警備隊所属の現役兵で、ミュージックビデオもそんなビジュアルです。 因みに、『ザンガレワ』とは、カメルーンのエウォンド語(Ewondo)で「誰がお前を呼んだ?」を意味だそうです。   ■Golden Sounds – Zangalewa : Version 2010 World Cup video edit 2010年ワールドカップ期間中に,カメルーンの全TV局で放映されtaミュージックビデオ     【バナハ Banaha】 コンゴ民主主義共和国 ルバの民謡です。「バナハ」とは果物の「バナナ」を意味するそうです。 Sisi, sisi, dolada, Yaku sine ladu banaha. (×2) Banaha, banaha, Yaku sine ladu banaha. (×2) Ha, banaha, Yaku sine ladu banaha. (×2) パイナップルの樹の下で ヤクがバナナを盛っている、おばさんの赤い帽子に バナナ、バナナ、ヤクは盛っている おばさんの赤い帽子に ああ、ヤクがバナナを盛っている おばさんの赤い帽子の中に   ■ Banaha (Soldier’s Song)- Missa Luba (Deluxe Editio)   ■ Banaha (SSA) – Russell Robinson 音楽教材になっているバージョン     チェッチェッコリ/チェチェコリ (Che Che Kule /Kye Kye kule) ガーナ アカン民族の伝統的な童謡で、世界中で人気があります。リーダーが掛け声をかけて、他の人がそれに合わせてエコーのように歌います。ジャンベ・ドラムがアフリカ特有のリズムを生み出し、それに合わせて様々なダンスをすることができます。 歌詞に意味はあまりないようで、「せっせっせーのよいよいよい….  」の様な感じらしいです。 ■ Che Che Kule (Kye Kye Kule) – Children’s Songs - Sing With Sandra     ■ 運動会チェッコリ玉入れ 日本ではガールスカウト/ボーイスカウトから広まったようです。

西アフリカのお守り「グリグリ」GRIS-GRIS

グリグリGRIS GRISとは? グリグリ(Gris-Gris)は、アフリカを起源とするブードゥー信仰のお守りで、着用者を悪いものから保護したり、幸運をもたらすと信じられるお守り(護符)です。 アフリカ大陸からアメリカ大陸にかけて広い地域で信じられているお守りで、西アフリカから奴隷貿易を通じてハイチを中心としたカリブ海地域に広まり、キリスト教徒融合したヴードゥー教のお守りとして現在も使われています。 祈願の内容も様々で、旅の安全祈願・避妊や懐妊祈願・勝利祈願などいろいろありますが、一番よく身に着けられる理由は旅の安全祈願だそうです。 西アフリカで使用されていた元々のグリグリは、小さな革の袋の中に、ハーブ、オイル、石、骨、髪、爪、その他の身の回りのものを入れ、すべての要素が揃ったら神の名によって祝福されるというお守りで、シャーマンに祈祷してもらい儀式的に身に着けるものとされています。 そして西アフリカでは、11世紀以降のイスラム教の広まりとともに、グリグリの中身はイスラムの精神的指導者から祈祷して貰い記号化したコーランの紙を入れたものが多くなっていきます。 その始まりは、現在のガーナ北部に12世紀に起こったダグボン王国 (Kingdam og Dgbon 11C-20C)から始まったといわれ、 塩やコラの実や奴隷の交易で栄えた王国で、2代目の王様の統治時にイスラム教が正式に採用されたといわれます。 また丁度ダグボン王国が栄えた同時期に、北にモシ王国・さらに北西にバンバラ人が起こした強大なマリ帝国が同時期に栄えました。其々の国がイスラム教を取り入れたことで、13~15世紀に西アフリカに広く民族の壁を越えた民衆の間にもイスラム教が広まり、それとともにグリグリ信仰も広まったといわれます。   コーランの入ったのグリグリ 西アフリカのトゥレグ・フラニ・ウォダベなどの交易や遊牧など移動を生活の生業とする人々は、非常に多くの人達がお守りを身に着ける主観を持っています。 トゥアレグのグリグリは記号化したコーランの入ったもので、何世紀にもわたり培われた西アフリカの民間信仰・イスラム化・トゥアレグのフォルム・北アフリカの信装飾が融合したハイブリットな形が特徴的で、様々な要素がすっきりしたデザインに落とし込まれているところも素晴らしい伝統的な護符です。   また、トゥアレグと近い場所にエリアに住む遊牧民のフラニやウォダベの遊牧民の間では、骨や石や金属などの異素材はグリグリと一緒にジャラジャラつける着け方で、ヴードゥー教の要素をメインに革の中身にコーランを入れる仕様が多いです。     セネガルのグリグリ セネガルではより生活に身近な願掛けお守りとして、グリグリは人々の実生活に幅広く根付いています。 身に着け方もベルト、ブレスレット型など様々で、旅行安全祈願、避妊又は懐妊祈願、レスリングの勝利祈願などの目的で、夫婦やレスラーまで幅広い人々に身に着けられます。最近では有名なマラブー(セネガルでのイスラム教の指導者)に、オンラインで中身を祈願してもらうお守りものあるそうで、有名なマラブーに頼むとが最低料金が200万CFA(約2,950ドル)を超えることもあったり、売れっ子のマラブーは価格が上昇するそうです。 また、懐妊祈願のグリグリは50ドルくらいの最低料金に子供が出来たら成功報酬というパターンもあるようです。 ※セネガルのレスリングの素敵なサイト  https://maptia.com/christianbobst/stories/the-gris-gris-wrestlers-of-senegal   セネガル相撲の動画 in Mali  (いつか、みてみたいです~) 因みに、セネガルのものだけではないのですが、西アフリカで広く見られる革のブレスレットもグリグリの一つ、若しくはグリグリ由来の形のようです。   カリブ地域に広まったヴードゥー教のグリグリ 奴隷貿易とともに西アフリカからハイチを中心としたカリブ地域に広まったヴードゥー教はキリスト教徒融合していきますが、グリグリおお守り文化はまだ色濃く残っています。       まとめ アフリカには3000を超える多くの民族が住み、様々な護符といわれるものが古来より存在してきました。 個々の民族特有の形や意味を持つお守りや願掛け人形もありますが、様々な民族に共通する信仰によって自然の広まったお守りもあります。そこには、人間が決して住み易いとは言えない場所も多いアフリカ大陸の気候や環境の中で、其々の民族の文化を尊重しながらも、多民族が共存しながら互いに幸せを享受し合う相互扶助の精神が表れている様に思います。 アフリカの近代以前の歴史は文字に残ったものは少なかったけれども、様々な民族の関わり合いの中で言葉や風習や技術や形が相互に作用しあい、アフリカ大陸の文化や文明がとてもダイナミックに展開されてきたことが、一つのお守りからも伝わってきます。 アフリカのモノは見ただけで伝わる力強いものも多いですが、それは今までアフリカ大陸で展開されてきたなダイナミックな歴史と文化の文脈が、デザインを通して伝わってきている様にも感じます。 そして、文字を持たなかった地域が多かったが故のアフリカの形やデザインは、逆に、文字を介せずとも伝わる形の表現を創造し、それが今日アフリカ美術の高い評価に繋がるようにも思います。

カラフルに祖先と繋がる精霊の衣裳 エグングン

ヴードゥー教は(Voodoo)は、西アフリカのベナンやカリブ海の島国ハイチやアメリカ南部のニューオーリンズなどで信仰されている民間信仰です。 西アフリカのギニア湾岸、ナイジェリア・ベナン・トーゴ付近が発祥で、今でもヨルバ・フォン・エウェの人々に信仰され、特にベナンでは約40%の人に信仰され、1989年には国の国教に指定されています。 また、ヴードゥー(Voodoo)はカリブの信仰も含めた英語の発音で、西アフリカでは現地ではヴォドォン(Vodun)と呼ばれています。(フォン語での「精霊」の意味) 映画の007「奴らは死ぬのだ Live and Let Die」で登場するような黒魔術を連想させるヴードゥー教は、植民地時代の奴隷貿易で西アフリカからカリブ海地域へ強制連行された人々の信仰とカトリックキリスト教が融合した宗教です。 西アフリカのヴードゥーの儀式の中に鶏や羊などの供物を求め、それを神に捧げたり、床にアルコールなどを注ぐ儀式もありますが、地元の信奉者は魔術や黒魔術とは何の関係もないことを強調しています。     ヴードゥー教の発祥の地とされるベナンのウィダーでは、毎年1月10日に盛大にVodunヴォドン信仰の祭典が最大に行われ、その中のハイライトは「エグングン Egungun」といわれる精霊のパーフォーマスです。 エグングンは、ヨルバ民族の先祖の霊を代表する仮面舞踊家で、祖先と現世の人々を繋ぐ神であり社会の道徳や争いの判決をもたらすなど、人々の絆と生活の安定を司る精霊とされます。 エグングンのパフォーマンスは様々な、体をモチーフで飾られた華やかな布のマントで覆い、顔もタカラガイの殻の仮面で覆われた状態で踊ったり歩いたりします。その時に、観客が彼らの目を見たり触れたりすると、その人に良くないことが起こるといわれます。 ヨルバ民族の先祖の霊を代表する仮面舞踊エグングンの華のやかな衣装は、布を不死の概念として象徴的に捉えるヨルバの思想を表したものといわれます。 ヨルバの社会で布は体を覆い、保護し、美化、敬うだけでなく、宗教的な精神の象徴とされ、葬儀で親せきが集まるときは幾つかの布の束を持ってくる風習があるそうです。布はなくなった人の精神に届く贈り物で、効果でエキゾチックであるほど価値があるとされ、世界中の高価で美しい布が持ち寄られるそうです。 伝統的なヨルバのエグングンの衣裳は、そのような様々な布辺をはぎ合わせたパッチワークの布を、更に繋ぎマントのようにしたもので、ヒダを増やしていくそうです。その作り方は伝統に従うのに対して、デザインや素材は新しいものを取り入れていくそうで、それは過去の伝統や習慣やルールに従いながら現代の革新や変化を組み入れていく、ヨルバの思想を表したものといわれます。 現代のヴードゥーのエグングンの華やかな衣装は衣裳はアップリケやパッチワークが施された美しい衣装です。 見るだけでも十分興味深いですが、こういった衣裳が生まれる背景やストーリーを少しの覗いてみると、見た目はキラキラしていても伝統文化や思想が凝縮されたアート的作品にも思えてきます。 参照:https://risdmuseum.org/manual/445_cloth_as_metaphor_in_egungun_costumes

気になる西アフリカ映画【OKOROSHI】

2019 トロント国際映画祭(TIFF)ででプレミア上映されたノリウッド映画、 「The Lost Okoroshi」が面白いです。(Netflixで配信) ナイジェリアの新進気鋭の映画監督、Abba T. MAKAMA の作品です。 伝統的なオコロシ仮面の夢に悩まされていた警備員の主人公が、ある日突然、仮面に変身してしまいます。 オコロシ仮面になり人間に戻れない主人公、家族や仕事を諦め、秘密結社の普遍的な原理を探す旅がラゴスシティで始まります。 そして、ナイジェリア古来の精神と現代の瞬間を再接続する使命を開始します。   映画について、マカマ監督はこう述べています。 「私はいつも仮面舞踏会に魅了されてきました。彼らはほとんどすべての国に存在し、普遍的な魅力を持っています。 人間にマスクをかけることで、突然彼らを霊に変えることができるという考えは、常に私を魅了してきました。 私はアフリカ人が彼らの文化や伝統と連絡を取り続けたいと願っています。 グローバリゼーションによって私たちの過去とのつながりがますます難しくなっています。 仮面舞踏会は一般に悪魔化され、西洋の宗教では悪い兆候と見なされています。このプロジェクトでは、物語を変え、仮面舞踏会をカラフルで遊び心のある良性の実体として再紹介することを目指しています。」   展開が早く活気に満ちたコメディドラマです。 映画のビジュアルは、なんとなくシャルル=フレジェっぽい雰囲気、透明な空気感も魅力的です。   以下の予告編をご覧ください。     そして、Abba MAKAMA監督の前回の作品がこちらです。 GREEN WHITE GREEN de Abba MAKAMA Nigeria – 2016 – 102min – Film  VOST project ウソマ、セグン、ババは高校を卒業したばかりで、大学に入る前の自由の瞬間を楽しんでいます。ナイジェリアの歴史についての本を書いている教師の1人のリバータリアンの精神に魅了され、彼らは自分たちのアイデンティティを求めて彼らを迎え入れる映画を作ることにしました。ユーモアとインテリジェンスが豊富なグリーンホワイトグリーンは、ナイジェリア風の映画館の前衛に私たちを突き刺します。 ウソマ、セグン、ババは中学校を卒業したばかりで、大学に行く前の夏休みにいます。彼らはナイジェリアの歴史についての本を書いている過激な教授に興味をそそられ、彼らは映画を作ることを決定し、その過程で自己発見のジェットコースターに乗り出します。機知と風刺がたくさんあるグリーンホワイトグリーンは、ナイジェリアのアートハウス映画の前衛に座ります。   site source by https://tiff.net/events/the-lost-okoroshi GREEN WHITE GREEN de Abba Makama

西アフリカの宝貝カルチャー

このブログを書いた発端は、アフリカの物に限らず、元々は宝貝が付いていた民具や装飾品の貝をわざわざ取りはずして、伝統的なものとして紹介する事に少し疑問があったからです。 最近、綺麗な宝貝が手に入った事もあり、西アフリカと宝貝の事を少しまとめてみました。 アフリカでの宝貝(カウリーシェル・子安貝)は様々な用途で使われてきました。 装飾としては古くより使われてきたのは、コンゴのクバの装身具や、カメルーンの内陸、エチオピア高地のオロモの背負い袋や容器などで、比較的内陸で多湿な限定的な地域だったそうです。内陸といってもカラハリ砂漠などの乾燥した地域では使われなかったそうです。 また、西アフリカでは交易を通してまず通貨として流通していき、その後、様々な装飾にも取り入れられました。     世界最古・最も広く使われた通貨、宝貝 宝貝の利用は紀元前16世紀から始まった古代殷王朝でみつかっています。黄色宝貝がハカに埋葬されており、財産として利用されたといわれます。西アフリカでは、14世紀にマリ帝国に訪れた探検家のイブンバトゥータが、宝貝が通貨として利用されている事を書いています。 17-18世紀に栄えたダホメー王国では、市場で宝貝がないと何も買えなかったそうです。 (ダホメー王国の宝貝についての詳細) 西アフリカで通貨として流通した宝貝は、モルジブ諸島からアフリカ経由でサハラ砂漠を横断し運ばれていったといわれます。 昨年アフリカに行った時ハウサの人が、ナイジェリア北の一部の地域では、貝殻が今でも地域通貨として使われているといっていて、実はその価値はまだ完全に失っていないようです。 宝貝の特徴と西アフリカでの通貨価値 きれいな白い貝殻は、通貨に必要なすべての特性を備えているといわれます。軽量で腐りにくく、取り扱いや輸送が簡単です。その形状は、即座に識別可能で、偽造が困難で、形状もサイズも均一に揃える事が出来て数えやすいです。     西アフリカで宝貝は、長い紐で40個ずつ束まとめられ、多額の支払いの場合、殻はバスケットに積み上げられました。 因みに、8世紀ころにアラブの商隊から西アフリカにもたらされた牛とと宝貝の交換レートは、大体このような感じだったようです。(牛は20世紀までの支払い手段、権力と富の象徴、今でも人気アイテムです。) 但し非常に大きな金額の場合、受け取った宝貝を運搬するのに、かなりの運搬(ポーター)費用が発生し、手に入れた貝を全て運搬費に使うこともあったそうで、そういった大規模の取引は、ハウサなどに代表される長距離交易を行う専門民族が行いました。 牛1頭=貝50束(40本×50束=2,000個) 奴隷一人=17世紀は貝1万個 奴隷の需要は時代とともに高まり、18世紀頃は貝15万個      交易に使われた宝貝 長い間宝貝は西アフリカ全体で流通し、銀貨・砂金・塩・金属のオブジェクト・腕輪のマニラ(Manilla)・布・ビーズなど、他の多くの通貨価値のあるものと共存していました。 また、ヨーロッパ人は、特定のアフリカの民族が小さな貝殻を好んでいることを知り、奴隷・金・象牙の取引に、貝殻の通貨を積極的に使用しました。 西アフリカでは長らく、こういった複数の通貨を使用することが一般的だったので、旧フランス領でフランを導入した後も通貨の統一に抵抗があったようで、しばらく宝貝はその価値を維持しました。 コンゴのクバ地域などでは、1940年代まで現役の通貨として使用されたといわれます。 通貨の併用が当たり前で、統一通貨を拒むあたり、多言語で多民族が共存するアフリカらしさを少し感じてしまいます。   宝貝、西アフリカの村での役割 小さな村では、外部との取引は長老たちの責任と特権でした。村人が生産した商品(過剰な穀物、養蜂からの蜂蜜、布、鍛造金属など)は外部の商人に販売され、収益は村の共通資金に保管されました。 高齢者は保管された通貨を使用して、地域社会のために道具、薬、牛などの必需品を購入しました。 村内での取引の多くは物々交換の形で行われ、通貨は殆ど使わなかったそうです。   宝貝文化はまだまだ続く 現代の西アフリカでは宝貝は通貨として機能していませんが、その文化の痕跡は残っています。ブルキナファソのワガドゥグーでは、貧しい人々にコインと宝貝を混ぜて渡す時があるといわれます。 ガーナの通貨「Cediセディ」は「宝貝」を意味するアカンの言葉で、1955年発行のガーナの20セディのコインには、宝貝が刻まれていました。   また、宝貝は丸みを帯びた曲線は妊婦のお腹を連想させ、生殖能力の象徴とされます。 貝殻のスリットは黒い瞳のように見えることがあり、邪眼を防ぐためにも使用されます。 装身具用のビーズとしてもよく使用され、ジュエリーに組み込んだり、髪に着けたり、彫像や仮面やバスケットを飾ったりします。 また、西アフリカの伝統的文化に欠かせない占いにも良く使用されます。 ドゴンの占い   異文化の価値観 日本ではなじみの薄かった宝貝ですが、地域が変われば価値も変わります。 海が遠い内陸の民族は、アフリカだけでなく宝貝を美しさ・豊かさの象徴として扱ってきました。 今ではただの貝殻という扱いが一般的だと思うのですが、その背景や歴史を知ると、宝貝を使っている様々な民族装飾も一味違って見えてくるかもしれません。     参考文献『貝の道』 参考サイト http://www.nbbmuseum.be/en/2007/01/cowry-shells.htm