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ブルキナファソ BukinaFso

アフリカのヘアスタイルと床屋の看板

アフリカの長く豊かなヘアスタイルの歴史 アフリカの髪型のルーツは紀元前のエジプト時代にまで遡るといわれ、様々な民族によって何世紀にもわたり受け継がれたスタイルがあります。 初期のアフリカ文明では、ヘアスタイルは人の家族の背景、民族、社会的地位を示し、それはアイデンティティを現してきたともいわれます。 現代でもアフリカでは理髪店や美容院が多く、髪型を整える為に時間を費やし、髪に関する美容代の割合が比較的高いともいわれます。 西アフリカの街の床屋 ナイジェリアの写真家であるアンドリュー・エシエボ(AndrewEsiebo)は、西アフリカの7か国(ベニン、コートジボワール、ガーナ、リベリア、マリ、モーリタニア、セネガル)を旅して、街の中で床屋が現在どのように機能しているかを確認し、サロンの美しさを写真で記録しました。     エシエボは次のように説明しています。 理髪店は、人々が家や公共の場で、政治や恋人さえも含めて、話せないことについて話し合うための親密な場所です[…]さまざまな分野の人々がさまざまなクラスの人々が集まる数少ない場所の1つです。 、ミックス[…]彼らのサインは、しばしば光沢のある色で手描きされ、道具や男性のヘアカットの奇妙な複製であり、伝統と現代性の共存を反映しています。     床屋の中には比較的現代風のものもあれば、シンプルな形態もありますが、ほとんどの床屋は、黒人の文化、スポーツ、音楽のアイコンの写真で飾られることが多いです。 エシボによると、スタイルの多くと、そのように髪をカットすることを選択した個人的な感覚は、国・文化・政治の枠組みを超えるといいます。 そして、顧客は流行のスターやアイドルと同じ髪型を望むことが多く、理髪師はその要望に応えます。   床屋の看板とアーティスト 理髪店は、外側に手描きの看板が釘付けになっているシンプルな店は自分で看板を作ることもありますが、多くの場合、独学の看板アーティストによって木製のパネルに描かれています。   このような看板は、1930年代から1950年代にかけて都市部でサービスを宣伝するために最初に登場し、その後村ままで普及していきました。 小さな小屋もありましたが多くの場合、野外にハンドル付きの携帯用看板を吊るし、椅子と鏡を設置し、床屋をオープンしました。 看板はしばしば最新のヘアスタイルを提示します。 アメリカの大衆文化の影響は、「ボーイング」「フォード」などの名前のついたアフリカの現代的なヘアスタイルを生みトレンドを維持してきました。   美しい剃り込みの美学 アフリカの床屋の看板は横向き絵が多く、美しい頭の形と剃り込みのラインを強調します。   現代では、印刷ポスター、モダンスタイルの建築の出現により、アーティストによる床屋の手書き看板は少なくなりました。 しかし、壁に直描きのお店はまだ健在で、このようなお店はゲームや携帯電話サービスなど追加のサービスも提供しながら、人々が集まり交流する身近な場所であり続けています。     西アフリカの新しい美容ファッションカルチャー 髪型だけでなく昔より美容の意識が高いアフリカでは、様々なビューティートレンドが生まれてきています。 ガーナではセレブに人気のの出張ヘアサロンサービスが人気で、中央アフリカ共和国では男性ネイリストが活躍するなどジェンダーレスに美容業界が盛りあがりをみせています。 これからもアフリカの様々な街で、新しいムーブメントが起こり、それとともに新しいアートとカルチャーが誕生し、アフリカの感覚で今の時代を映しだしてくれるのでしょう。   中央アフリカでの人気のネイルサロン ビューティー産業で大活躍する、中央アフリカ共和国の首都バンギの男性たち   ■『西アフリカの街』展 開催中  ■ 駅のカフェに、西アフリカがやってきた! 2022年 4月15日(金)~7月15日(金) AM6:00-PM9:00  アートの買える駅のカフェ TOMORROW gallery BECK’S COFFEE SHOP 高田馬場店内 西アフリカの街を彩った看板・ペイント・作家作品など、カフェ店内での展示とオンライン販売    

サバンナで映える、モシ人の青と白の布

ブルキナファソで作られる手織りの青や白の布がよく知られています。 一枚の布は、もともと女性が体に巻きつけて着るもので、男性は腰巻や褌のようなもの、身分によって上着やパンツを仕立てて着ます。   女性達は今では、普段はアフリカンプリントを着ていますが、お祭りや民族のイベント事の時には一緒に着用しているようで、下の写真はモシの村の一例です。   こういった布は、大体、紬が女性、織りが男性によって行われます。 紬ぎは駒のような簡素な道具で紡がれ、織りは細幅の腰機で織られます。 そして、10cm前後の幅で織られた布を繋いで、大きい布を作っていきます。   西アフリカ一帯で広がるこういった綿織布は、モシなどは比較的は早く取り入れられたといわれますが、その起源やいつ頃から普及してきたのかわからない事が多く、特にこの織機に関しては謎が多いです。 布を織って身にまとう、着衣の文化自体はイスラム教の普及とともに、北アフリカから西アフリカに伝わったといわれていますが、北アフリカではこのような細幅の腰機は使わなかったそうです。 川田順三先生によると、この織機は西アフリカ一帯に広がっていますが、組み立て移動式のポータブル仕様なのに、仕組みは高度に出来ているそうです。 また、織機の部位の名称がいろいろな民族の言葉で割と似ている事から、ある程度完成した形や仕組みが、比較的新しく伝播したことがわかるそうです。 新しいといっても日本で綿織物が普及した江戸時代よりかは古く、しかもその様式が変化することなく今でも生活に根差し多く行われているといいます。 この織文化、陶芸や鍛冶鉄などのサバンナで明らかに古いとわかっている工芸と比べると、生贄や職りにまつわる禁忌・儀礼的要素が無いといいます。また、出自による作り手の資格の制限もないようで、そういった事からも比較的新しく生まれた文化といえるそうです。 また、ブルキナファソ・モシの人達はこういった細幅の布を作りを一般的には農業と兼業で行い、乾季から雨季に入る農閑期(3月~6.7月)に行います。 11月に、ワガドゥグから100km程北のモシの村に織機を見に行ったら、織機は跡形もなく解体されていました。     川田順三先生によると、「白」という色はサバンナの自然の中では、カオリン質の白土からできる粉、ニワトリや羊などの毛や羽以外はあまりみあたらないそうです。 ブルキナで綿花が栽培され始めたのはフランスの植民地以降といわれますが、それにより西アフリカの白い布は日常的に作られるようになりました。 今の私たちからみるとなんの変哲のない(何もしていない)布のように見えますが、布自体が西アフリカに普及していなかった時代、当時の人からみると人の手が作りだした「美しいもの」に見えたのではないでしょうか? 柔らかくフカフカしたこの布を触ると、染めずにそのままの抜くの色を衣装にしたモシの気持ちが少し伝わる気がします。     その他、ブルキナにはダフィンと呼ばれるストライプ系の布が有ります。 この布、少し謎だったのですが、長らく放置してあったワガドゥグ博物館で撮ってきた写真をもう一度見直してみると、ヒントが写っていました。 大体この手のストライプの布は、まとめてダフィン(モシ語)と呼ばれているブルキナの西に住む人々(Mrka Bobo Samo/san など)が作っているようです。   細かく見るとストライプにも民族ごとに違いがありました。   博物館( Musée National du Burkina )の展示によると、ブルキナには70近くの民族がいるとのこと、布を作っている民族が2つだけという事はということはないのですが、似ているものも多く、細かくも把握も出来ないという感じです、、、。 織機の謎も含めて、少し深堀すると色々出てくるアフリカ。 後から点と点が繋がる事が多く、またそれも面白い所です。 そして、サバンナの土地に映る白と藍と褐色のコントラストはとても美しいです。   参照:サバンナの博物誌

ロビ Lobi

※過去の動画や画像がありますが、現在は違う状況です。    住んでいる場所 ロビはブルキナファソ南東・コートジボワール北東         Art and life in Africa map      ざっくりヒストリー ロビは現在のガーナから1770年頃にブルキナファソ南部に移住し、その多くは国境を越えて現代のコートジボワール北東部に移り、また一部はコートジボワールからブルキナファソ南部に戻ってきたりしました。 移動の理由の一つには、植民地時代の奴隷狩りから逃れる為であったといわれます。 かつて、ロビは自分たちのコミュニティ外からの政治的権力に抵抗した人々として有名でした。ロビの村はそれぞれ基本的に独立しており、ロビ全体での政治的なまとまりはありませんが、フランスの植民地化には強い抵抗を示してきたといわれます。 相手は銃を持っていたと思いますが、弓矢で勇敢に戦ったともいわれます。        生活 ロビは主に、キビ、モロコシ、トウモロコシを耕作する農業を営んでいます。 男性は通常、畑の開拓と植栽の準備を担当し、女性は種蒔きと収穫のほとんどを行います。また、農業の合間に男性も女性も手工芸品を作り、地元の市場で販売します。家畜や牛の飼育も行い、その一部は結婚の持参金や罰金の支払い、信仰の供物として使用されたりします。 ロビは古来より狩猟中心の生活を続けていましたが、銃の普及により獲物が減少し農業中心の生活に移行してきたといわれます。  Society of African Missions の動画リンク  1950年頃の様子のようで、現代の様子ではありません。少し上から目線も感じますが、当時の様子、生活の道具、後半に葬儀の様子など見る事が出来ます。        コミュニティー ロビの村は点在して広がっており、しばしば他の民族エリアと混ざり合っています。きっちりと地理的に区別することは難しいです。また、個々の村に存在するティラ(神の使者)同士の提携により、地理的に離れている村でも同じコミュニティーとしてとらえる事もあります。 宗教的な占い師はコミュニティの長として認識され、色々な決定事項・道徳の規範など、村の住民は基本的にそれに従って生活していきます。各村は基本的に独立しているので、ある村では禁止されているものが別の村では大丈夫だったりと、村ごとのルールには特徴があります。   ■ロビの村に旅行に行かれた方の、ブログ記事を見つけました!その時、村の方から聞いたロビの説明をまとめた記事がとても良いのでリンクをいれます。これだけでなく、アフリカの色々な記事がとても良くまとまっていて、素晴らしい!最近のロビの様子も旅行記から伺えます! →ブログ:アフリカに「おもいやり」のロビの基本情報ページ →ブログ:アフリカに「おもいやり」のロビの村旅行記①ページ →ブログ:アフリカに「おもいやり」のロビの村旅行記②ページ 四角底のストローバスケットはこの地域の形だったのか!      神話・精神世界 ロビはかつて彼らと神と一緒に理想の楽園に住んでいて、何も望んでいないと信じていました。しかし、人々の数が増加し始めると男性は女性をめぐって互いに戦い始め、その結果、神は人々に背を向けてしまいました。 しかし、神は人々が完全にいなくなることを望まなかったので、人々を見守る使者としてティラ(thila)を人々の世界に送りました。ティラは自分のメッセージ・要求・禁止事項を、占い師を通して人々に伝えます。 また、ティラの世界では男性の上に多数の自然霊が存在するといわれます。ロビには自然霊とティラを難なく区別できるといいますが、これは外部の人には分かりずらい事でもあります。      作品 (木彫・ブロンズ・陶芸・建物・音楽など) ■木彫 ロビは毎日使用される道具から、宗教的な理想を具現化する人物まで、木彫品を作ります。 その一つに神話に基づいた精神世界を現す「バティバ  Bateba 」と呼ばれる木彫の人形があります。 ロビの人々の精神的世界観には、創造神の次に「ティラthila」 と呼ばれる目に見えない超自然の精霊が存在しています。「バティバ 」は「ティラ」の助手と考えられ、祭壇に祀られた瞬間から命を授かり、人間を妖怪や病から守り、富や健康、豊作、結婚、出産などの幸福をもたらすといわれています。 「バティバ」は様々な種類があります。 動物は基本的には「バティバ」の助手役で、鳥、ガゼル、キリン、カバ、ゾウやカメレオンなどがあります。造形はシンプルですが、この動物には生命が吹き込まれたような存在感があります。 また、「バティバ」は「ティラ  thila」(超自然の精霊) の祭壇に配置され、互いに通信し、魔物と戦うことができる生物として認識されています。 ロビの祭壇は家の奥の暗い場所に大体ありますが、「バディバ」は時々魂だけ外に外でお出かけするそうです。(リフレッシュですかね?)      神と木彫と人の関係をまとめると、大体こんな感じでしょうか? 「神」 ↓ 超自然霊「ティラ」(神の使い) ↓↑ 交信 ←占い師 間を取り持つ 祭壇に置かれた木彫り「バディバ」 → 時々、祭壇の外に外出する ↓ ←占い師 間を取り持つ ロビの人々  富や健康、豊作、結婚、出産などの幸福をもたらす   ■多種多様な護符 妖怪や病気、攻めてくる敵から身を守る為の護符 富や健康、豊作、結婚、出産などの幸福をもたらすもの   ■美しい建物やインテリア   ■音楽   reference:The University of Iowa Stanley Museum of Art , Art &Life in Africa  

ブルキナファソ 自転車の風景

まず、ブルキナファソとは? ブルキナファソ(Bukina Faso)はに西アフリカの国で、サバンナとステップ気候にまたがった降水量が少ない比較的乾燥した暑い国です。(気温18-39度) 島国の日本と比べると、起伏が少なく広く平たんな土地が国全体に広がります。 アフリカの国は資源が豊富な国も多いのですが、ブルキナファソは目立った資源が見つかっておらず、国民の大部分が農業に従事している国で、経済的にはアフリカの中でもまだまだ高い水準とはいえません。 (余談ですが、北東の隣国ニジェールも発展これからの国ですが、ウランに続き・金・銀などの鉱物、更に油田も見つかり、お隣ですが、国の未来図は分かれそうです。)   ブルキナファソと自転車 ブルキナファソは自転車愛好の国で、周辺国と比べてもサイクル人口は多い気がします。(私の感覚ですが) 首都のワガドゥグーでも、ちょっとそこまでというか、数キロ先に行くようなミニバスやタクシーなどが割と少ない感じがします。(バイクタクシーはあるけれど) 土地が平らな事もありある程度道が舗装されているとかなりスムーズに自転車をこげ、もちろん健康にも良くガソリンも要らないので経済的、色々なところで推奨もされています。 昔は徒歩で移動していたところを、自転車を使うことで移動時間の短縮が出来ます。仕事や家の手伝いをしながら学校に通えたり、週3回市場に野菜などを売りに行っていたところを毎日売りに行けたりと、収入にも繋がるそうです。モーターサイクルや自動車も増えていますが、自転車はまだまだ生活に欠かせないものです。   日本の自転車も活躍中 何気に、日本の中古自転車も大活躍しています。 先月、ブルキナの中古自転車ディーラーが日本に600台仕入れに来ていました。とても人気があるとのことです。 道のは舗装されているといっても、土のでこぼこした道が殆どで、パンクはしょっちゅうあります。ブリジストンなどはタイヤの性能も良く、パンクし難いので非常に人気があります。(アフリカではタイヤ命) ワイヤー自転車は昔からある定番のツーリスト向け雑貨なのですが、その素朴な雰囲気、ブルキナらしい自然派の志向、真面目な手仕事の温かみを感じます。 手仕事のワイヤーワークは、ブルキナだけでなくアフリカの人は、細長いものを編んだり捻じったりするのはとても上手、密かにアフリカらしさを感じる一品でもあります。   こちらは、ブルキナファソのサイクリングライフを推奨している団体の動画です。 (source Cycling with honourable people.wmv by Cyclingoutofpoverty)     こちらは、ワガドゥグーの雰囲気つたわるyoutube動画です、参考までに。