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2020年1月

西・中央アフリカ、かつての象徴貨幣と、今後の通貨

20世紀なかごろまで、コミュニティごとに機能していたごとに象徴貨幣です。 こちらは、ナイジェリア東・北カメルーン、キルディの貨幣です。(ヘビモチーフ) 普段の支払いというよりは、結婚の時に花嫁の実家に渡したり、土地の取引や財産の譲渡など節目節目の大きい取引時に使われ、結婚時の使用が多かったようです。 鉄器や農具など鉄鋼にまつわるもの、動物などがモチーフになっているも多く、権力や強さを表すとされていました。 子安貝も通貨として使われていましたが、子安貝はナイジェリアのすごい田舎ではまだ地域通貨として機能しているところもあるそうです。   そして、話はいきなり現代の貨幣へ飛びます。(すみません、、) 今、西アフリカや中央アフリカでは旧フランス領だった14ヵ国が、CFAフランという通貨を使っています。 CFAは元はフラン(今はユーロ)とレートが固定された通貨です。 インフレなどが起こりにくく安定しているものの、外貨準備金の50%をフランスに預けなければならないなど(自由に投資などできない)、植民地政策を引きずっている側面もあり長らく議論されてきました。 そして去年、西アフリカの15か国が加盟する「西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)」は、2、新たに導入する共通通貨の名称を「ECO」とすると決定し、2020年までにECOの導入を目指すと声明を発表していています。 ただ、ECOWAS加盟国の中でも、国によって経済格差が大きく、今でもいろいろ意見はでてきてるようです。 個人的には上手く単一通貨ECOに移行出来たらよいのではと思うのですが、まとまれるか?! 西アフリカを何か国か回ると、国境も接していて文化も言葉の結構リンクしているのに、旧宗主国の違いで通貨が違っていて、貿易や交通の面でスムーズにいかない事もあります。 ギニア湾岸の国は元フランス領とイギリス領が交互に横に並んでいて、東西を移動するときに通貨をいちいち両替しなければならないので、統一されればすごく便利だと思います。   参考にまでに↓ ブルーバオバブのアフリカニュース動画へのリンク アブさん&Konoさんのアフリカニュース 西アフリカ通貨問題編 Parler de la monnaie ECO en Afrique de l’Ouest  

キルディ ビーズエプロン  

キルディの女性用のビーズのエプロン。 色柄で社会的地位(思春期や結婚や出産や未亡人)・民族の起源などなど特定な事柄を表し、近隣で共通の認識があるようです。 カメルーン独立期頃の1961年から服を着る法律ができたようで、それ以降は伝統文化として残っているようです。     因みに、キルディKirdiとはフラニ語またはカヌリ語で”異教徒”を指す言葉で、 イスラム教に改宗しないで伝統的な信仰を続けている小さいエスニックグループの人達の総称で、植民地以降に使われたそうです。 フォリFoli 、マタカムMatacom、など貨幣や人形で知られている人々も入ってます。     キルディは大体地図の赤丸あたりに居る人たちで、ナイジェリア・カメルーン・チャドの国境辺で、かなり多くのエスニックグループがいるエリアです。(ナイジェリアが大体200~300、カメルーンが270くらいエスニックグループがあるそうで、両国にまたがってるグループもあり) 地図の色は~語族で色が分かれていますが、キルディがいる赤丸のエリアはカラフルで、色々な文化を持った人々が特に入り混じった地域です。     ■キルディ関連のyoutube動画がありました。 ダンスの動画です。あの、貨幣持って踊ってる!あのマラカスもはめて、あのどんぐり型の帽子のかぶってます。 音もダンスもかっこいいです、見てみてください。 Cameroon, Oudjilla, traditional dance    

ファンティ アサフォの旗

アサフォ(ASAFO)は、ファンティ(FANTHI)の軍事組織の総称です。 名前は戦争を意味する「sa」と人々を意味する「fo」に由来します。 ガーナ沿岸に住んでいたファンティの人々に国はなく、軍隊がなっかたので町や村ごとに私兵組織をつくっていたといわれます。(その頃、隣国に強大なアシャンティ王国が存在しています。)   こちらはそのアサフォ軍団(asafo)の旗の一つです。 旗は15世紀以降にギニア湾から入ってきたヨーロッパ人と同盟を結んだ頃から作られ、コットンを使うようになったのはイギリスが宗主国になった19世紀以降のようです。 旗はそれぞれの軍団の”強さ”のシンボルで、軍団は近隣の強国に対抗するため団結する時もありましたが、お互いライバル的な存在でもあったため、歴史的出来事・ことわざなどを挑発的に表現しているものものも多いです。     いろいろなモチーフは乗り物や武器だけでなく、動物・人など様々で、権力や強さや同盟を象徴したユニオンジャックは独立後にガーナ国旗に代わります。 この旗を作っていた職人は、各町にいたのか、それとも代表的な工房がそれぞれのアサフォ軍団から請け負って製作していたのか、少しきになるところですが、 お互いの軍団が競いあい(小競り合い)ながらも、いざという時は団結出来るビジュアルの統一感は絶妙です。   飛行機の旗が作られたころは第一次世界大戦中が多く、ファンティの人々は宗主国の英国に忠誠を尽くすとともに、独立の話し合いがはじまったのもこの頃のようです。 飛行機は自由にどこへでも行けるという事を表すようで、アサフォ軍団は其々アサフォ神社?のような建物があり、エルミナ(Elmina ※2)の神社には飛行機も祀られています。   言葉にすると厳つく深く、ビジュアルはナイーブなアサフォの旗、そんなギャップも魅力のひとつかもしれません。 →オンラインショップ   ※2エルミナ Elmina  (Wikipediaより抜粋) 1471年当時ギニアと呼んだこの地をポルトガルが訪れ、ギニア湾の防衛基地とするサン・ジョルジェ・ダ・ミナ城(エルミナ城)をつくり、奴隷貿易の拠点となったガーナの都市     ■ASAFO 関連のYouTube動画。 Tateのキュレーターの解説など3本、歴史とも絡んでいて結構参考になります。 見方や解釈は色々あるかもしれませんが、旗がアートになってゆく、、、   Asafo Flags: Stitches Through Time